ヘレンドの薔薇
今回は『ヘレンドの薔薇』です。少々長くなりますが、ヘレンドの歴史から触れていきたいと思います。ヘレンドのストーリーは1826年、時代は18世紀から19世紀へ移り行く中、科学の急伸による産業革命に代表されるような相次ぐ革命が顕著にみられた変遷期、ハンガリーの首都ブダペストの南西に位置する、ヘレンド村に開窯、ハンガリー初の磁器工房を設立したことから始まります。(初代ヴィンツェ・シュティングル氏による)
1839年には工場拡張事業に着手(2代目モール・フィッシャーによる)、ロスチャイルド家を筆頭に、地元ハンガリーからヨーロッパの有力貴族達の後援を経て、生産工程を見直し改良を行い、本腰を入れて磁器生産に踏み出していきます。1842年には、ハンガリー初の産業博覧会に出品するや否や、ヘレンドは高評価を得て産業協会を通じてヘレンドの名を広め、ブランドが確立されていきます。
その後、ハンガリーの国章を許可され、帝室・王室御用達の磁器製作所が公認されました。しかし、1843年には工場火災に見舞われます。ヘレンドミュージアムには、2代目モール・フィッシャーがその様子を描いた絵皿が残されています。
1851年イギリス・ヴィクトリア女王の夫君のアルバート公指揮の下、ロンドンのクリスタルパレスにて世界で初めての世界万国博覧会が開催。大火の災難をものともしないヘレンドに好機が訪れます。当時全盛を誇るヴィクトリア女王よりウィンザー城用にと、ヘレンドのディナーセットを発注します、その時の絵柄の食器は後に「ヴィクトリア」と呼ばれ、ヘレンド の代表的な絵柄になりました。時は1864年、ウィーンのヴィエナスタイルと呼ばれる、トラディショナルとモダンが融合した多くの作品の生みの窯・旧ヴィエナ窯が廃窯になりました。それ故、ハプスブルク家宮廷の自家使いの食器などの磁気製品の絵柄に使われていたハプスブルク家の門外不出「ウィーンの薔薇」、皇帝のお気に入り「パセリ」などのパターンをヘレンド が継承できることになりました。(※皇帝フランツ・ヨーゼフの御命による)
やっとヘレンドの薔薇に到達しましたね、このようにヘレンドはヨーロッパ王侯貴族に親しまれ愛された御用達品で、イギリス王室の結婚式の引き出物にもよく使われています。海外のテレビドラマ『ダウントン・アビー』は、華麗なる貴族の世界をリアルに描かれていて、とても面白い作品ですが、注目していただきたいのはイギリス貴族の暮らしぶりです。インテリア、食器、お洋服、すべてがなんとも華麗で素敵でした。ドラマの中で、貴族の奥様が朝食にヘレンドのアポニーグリーンで紅茶を飲んでいたりします。映画『ティファニーで朝食を』ではありませんが、『ヘレンドで朝食を』憧れます。
当店(アリス)にも、同じものを取り扱っていますが、やはりアポニーグリーン素敵ですね。なんとも言えないグリーンは、心を惹かれます。同様に、アポニーピンクやライラックも独特な優しい色合いで品格を感じる作品です。ヘレンドで、とっておきのティータイムを優雅に過ごしたいですね。
写真ではウィーンのバラをあしらったヘレンドのコーヒーカップに、エルメスのトゥカンとジノリのインペロカメリアを組み合わせています。(一番したエルメス、その上がジノリ)ヘレンドのストーリーは、アポニーやインドの華などにつながる逸話もあるのですが、それはまたの機会にお伝えしたいと思います。
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